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英国

イギリスは、19世紀以来、アイルランド人や東欧からのユダヤ系移民を受け入れてきた歴史がありますが、大規模な移民の受入れが進んだのは第2次大戦後のことです(1951年の外国生まれの人の比率は4.2%)。戦後間もない1948年に、旧植民地出身者に対してイギリス市民としての権利が認められ、特に南アジアやカリブ出身者が急増しました。1950年代には移民の増加による軋轢が生じ、1958年にはロンドン西部のノッティングヒルで大規模な人種暴動が起きました。その結果、1962年に旧植民地出身者の入国が規制されるとともに(1968年に規制強化、1971年に優遇廃止)、1965年には人種主義を禁止する人種関係法が初めて制定され(1968年、1976年に改定)、移民の入国制限と民族的少数者(エスニックマイノリティ)への差別禁止を組み合わせた戦後英国の移民政策が確立します。

1979年にサッチャー保守党政権が誕生しますが、基本的な政策は引き継がれました。1980年代を通じて、移民の入国規制が強化される一方で、民族的少数者の権利を保障する取り組みが進められます。1990年代になると、東欧から庇護申請者を中心とする移民が急増すとともに、社会から隔離された移民コミュニティの問題が関心を集めます。

1997年にブレア首相率いる労働党政権が誕生すると、労働許可要件が緩和され、2002年に高度人材受け入れプログラム(ポイント制度)が始まるなど、積極的な移民政策(「選択的受け入れ」)が推進されます。また、2004年にEUに新たに加入した東欧8か国からの労働移動には制限がないため、東欧出身の移民も増加しました。一方、2000年代を通じて移民の増加や受け入れのあり方、特に多文化主義への批判も高まります。2005年2月には出入国管理5か年計画が策定され、特に同年7月のロンドン同時多発テロ以降、移民政策の見直しが加速しました。そして、5か年計画に基づいて、複雑な出入国管理制度を簡素化し、審査基準を明確化するため、外国人労働者と留学生に対するポイント制度が、2008年から順次導入されました。このポイント制度は、入国する外国人を「高技能労働者」「技能労働者」「低技能労働者」「学生」「一時的労働者/青年交流参加者」の5つ(「低技能労働者」枠は実施せず)に分類し、それぞれ評価項目の配点を公表し、当該外国人の評価を点数化するものです。

2010年5月に、キャメロン首相率いる保守・自民連立政権が誕生しました。新政権は、移民の受け入れ数に上限を設け、大幅に減らすことに力点を置いています。特に外国人留学生受入れの制限が大きな論点となりましたが、2013年後半には2014年1月から自由化するルーマニアとブルガリアからの移民の受け入れの是非に焦点が集まりました。

統合政策については、2001年の北イングランドでの人種暴動以来、community cohesion をキーワードに地域社会における結束に取り組んできました。キャメロン政権になってからは、2013年2月に、コミュニティ・地方自治省が「統合のための条件を創る」と題した報告書を発表し、地域主導によるアプローチをとることを強調しています。


News on Immigration and Asylum

BBC News: Destination UK

Guardian: Immigration and Asylum

Observer: Asylum

Telegraph: Immigration News